|
<石窯との出会い>
妻の父は市役所の職員でしたが、ウインナーなどを作るマイスターになる夢を持ち、ヨーロッパを旅して勉強したりしていました。
そんな中、旅先で出会ったドイツパンにひかれ、ヨーロッパのパン作りを調べている中でパンを焼く石窯に出会いました。
ヨーロッパのフランスやドイツでは集落に共同の石窯を設け、仲間でパンを焼いていました。
ほぼ1週間分のパン焼きは主婦の仕事です。焼けるパンは硬く、スープやワインにひたしながら食べていました。
農村では全粒粉や、ドイツの寒い地方では小麦が育たずライ麦でパンを焼いていました。
これらのパンは毎日焼くのではなく、日保ちがするパンを焼いて食べていたのです。
|
|
|
|
 |
 |
 |
 |
<石窯をつくる>
まずは1998年、父が自宅の庭にドーム型の一号機をレンガを積みあげて完成させました。
その石釜ではドイツパンを焼いて、家族で食べるだけでなく、近所のみなさんなどに配り喜んでいただいていました。
父は仕事柄外国の方とも親交があり、訪ねるときに石窯パンを持って行き、大好きなワインをいただいたりしていました。
その後、父は二号機を作ることを計画します。
父は市役所の職員でしたから週末の土曜日を使い、持っていた今のお店の牧場の一部の土地に、2002年の初秋、現在のヨーロッパ方式の石窯づくりをはじめました。
作りはじめた頃に妻と知り合った私は、父の石窯積みを手伝い、2003年の夏に二人で造った現在の石窯2号機が完成しました。
最初の頃は、石窯は野天にあったのです。
この石窯のまわりに建物をつくり、壁を塗ったり、牧場の柵を立てたりして仕上げたり窯にタイルを貼ったりして、秋には父のスローライフとしての夢のお店が完成しました。
お店の名前は父の大好きなやぎから、シェーブル(フランス語でやぎの意味)と名づけたのです。 |
 |
|
|
 |
 |
 |
 |
<石窯パンのはじまり>
最初の頃は、金曜の仕事終わってから、窯に火入れをして仕込み、徹夜で石窯の火を守り、朝に焼く週1回土曜日の営業でした。
ところが父の余命1年の癌が発覚、父の夢を叶えた3人でつくったお店でパンを焼いて楽しむ夢が挫折しました。
もともと週末はアウトドア好きで、石窯パンも興味がありましたが、いざ始めるとなれば寝る時間もない石窯パン焼き。
妻がお父さんのかわりに仕込みを担当、私がパンを焼き、お父さんとお母さんが店番をする形でお店が始まりました。
農作業ができない私は父の教えでで、やぎの乳しぼり、草刈、耕運機など教えてもらいました。
その後、父の病状が進みお店も閉めてしまいました。
亡くなる5ヶ月くらい前の師走、二人で話し合い、勤めていた会社をやめて石窯パンのお店を二人で守りたいと父に報告しました。父はとてもよろこんでくれました。
2005 4月 石窯とパンとやぎを愛した父が亡くなりました。
父が生きているうちにオープンしようと努力しまいたが残念ながら間にあいませんでした。
父が残した石窯は生き物です。5月にリニューアルオープン、週4日営業をはじめました。
お父さんの愛した石窯です。
薪石窯でパンを焼く経験は今まで体験できないものでした。
父と一緒に石窯を積み、焼き上げたパンの喜び、この窯は究極のパンを焼く窯だと思います。
手間は普通のパン屋さんに比べ何十倍も労力がかかりますが、父の思いがつまった石窯を守り、一緒に生きていこうと思います。
|
 |
 |
|
 |
<石窯との会話>
石窯の熱源は薪(まき)です。ヒノキ、杉などの柱の端材をお願いしているプレカット工場にトラックで取りに行き、薪置き場に積み上げるのが毎週の仕事です。
火入れ用の薪割りをして薪床に薪を詰めて火入れの準備ができます。
薪の詰め方は木の種類によっても変わりますが毎週水曜の夕方4時までには火入れをします。
火入れしてから約1時間半位、火のまわり方をみながら少しづつ窯を暖めていくところに窯の火入れの難しさがあります。
火入れ暖めつづけたて 翌朝1時頃、仕込み開始をします。
窯のおき火を見ていると、熱く燃えている炭と石窯の会話に加わることができます。石窯たちの会話することが一番大切なことです。
実際に仕込んだネタを焼きはじめるのは朝の8時頃からです。
常に窯との会話をしながら 温度が高ければおきをおろし、低ければ追い炊きをします。
石窯はゆっくり温まり、ゆっくり冷えていきます。
石窯の火を見ながらレンガに手を触れるとまるで生きているように思います。
そこにはきっと父の思いが詰まっているからでしょう。 |
|
|